hoho!

みえないものをさわる

ネット?

「十代の若者の多くは、人間関係の中での自分の立場を強く意識する。自分の社会的な価値を電子的な手段による友達付き合いのレベルで計る若者は、依存症になりやすい。」
ナンシー・E・ウィラード
「子どもたちの安全なネット利用のために」(英語)



インターネットは大なり小なりその人の行動、思考などに影響を及ぼすが、若者については非常に破壊的な影響をもたらしうると考えている。
上に引用した一文は、SNSを、ネットを介さないところで出会った友達とのコミュニケーション手段として利用する場合を念頭に置いているようだが、そのシチュエーションにとどまらず、これは真実だ。
自分を自分たらしめる要素を、若者は模索している。学校、家庭において周りとかかわり合うなかで、「私はこの状況ならこう対処する」「彼はこう思うようだが、私はこう感じるし、考える。これは筋が通っている。」「あのように行動すればこんな結果になるのだ」等、事象と思考と感情の間を上手く渡り歩こうと努め、失敗や正解を繰り返すうちに、アイデンティティーが形成される。ここでのポイントははっきりとした正解(結果)が、見えない、ということだ。どうなっていくのかわかっていない。そこに自分の体(脳みそ含め)をもってぶつかることで初めて自分とはこういうものだ、またはコミュニティのなかでこういう立場にいたい、こういう人間になりたいのだ、とわかってくる。
ネット(ブログ、Twitter、掲示板等)では、沢山の思想、感情が蠢いている。皆が自分の気持ちを、文章にしている。だから、まず事象、ではなく、まず感情、まず思考、なのだ。なにかが起きて、感情がわき起こる現実社会とは反対になる場合が多いネットの世界で起こりがちなのは、状況、出来事等を抜きにして、相手の考えに賛成したり、感情に共鳴したりする、実質のない触発のされ方だ。このような鼓舞は、本人も気づかないうちに既成のアイデンティティーを若者に埋め込んでしまう。そしてあたかもその既成のアイデンティティーを纏うことが『正解』のように見せかける。『正解』を容易に手にすれば、あとはそれをもって、その場で生きて行けば、「既成のアイデンティティー」などという矛盾をはらんだモノに自分が満足している、という愚かな状況にも気づかずにすむのだ。しかし一歩そこを出れば、そのアイデンティティーは通用しない。だから、ネットはその若者にとって必要不可欠な住処となる。極端にいえば、外の世界で生きていく術をもたない人間へと向かう道を
歩むことになる。非常に破壊的な影響ではないだろうか。






つってーわたしは軽くネット依存。w支離滅裂Yahoo!。しかし、いろいろ考えちゃいます。まあ、ネットは民衆にはいらなかったのではと思います。とりあえず、気をつけなきゃだわ。