JOHAN
常に息を切らしながら生活している感覚がある。
日本と中国の行き来、
仕事の調整
やりたいことをやっているという意味ではいたってシンプルではあるけれど、どちらかというとフリーランスよりの仕事の故、いつも何か出しきれていないのではという気持ちに陥ることがある。
仕事然り、ライフスタイル然り。
その中で2016年、ずっと生活に彩りを添えてくれた人物がいる。
雑記帳をみれば、その人との出来事が事細かに記されていて、いかにその人が大きな存在だったかが見てとれる。
客観的に見れば同僚の域を超えず、その人にとっての私という存在も同僚の域を超えず、なのだけれど、私にとっては同僚である以上に心のオアシスだったのだと思う。よくいえばオアシス、よくよく考えればさしづめ医療用モルヒネといったところか。
人誑しな彼に、ただただ誑されていた。
その人が、間もなく同僚でなくなってしまうとなった時に、私はこの気持ちを伝えることをするのだろうか?(このただただ気持ち良い関係を延長するべく)という、大きな実験がいよいよクライマックスに近づいている。
この実験に伴って、どうしようもない気怠さと悲しみが、ここのところずっとつきまとっている。
生憎、ここぞという時に非常にマイナス思考であり、今回も然り。
もっと爽やかに恋愛という括りで励めればいいのに、得てしてこのタスクを、粘度の高い、人生とか、価値観とか、倫理とか、そういうものと掛け合わせて考えてしまうのは悪い癖。
いずれにせよ
この実験が肯定の結果でも、否定の結果でも、そこに残るのは私の踏み出した足跡だけなのだから、
取り組んだ過程も含めて、何か粗削りな思い出としてあとで口に含んで楽しめることだろうと思っている。
私には、まだ健康と時間があるから。