hoho!

みえないものをさわる

鉛筆

 

自転車のペダルをこいで行く。どんなに風のない日でも、自転車にのると風を受ける。髪の毛の先が尖っていて、靡いたそれが頬にあたるたびに痛い。

 

行く先にあるのは駐車場で、そこにあるのは自動車。足元が砂利の駐車場は、月々5千円という良心的な値段だったために、少し自宅からは遠いが契約した。そのはずが、6千円に値上がりするというからそれにはすこし閉口した。

 

自転車をとめて自動車にのり、仕事へ出かける。帰ってきたら自動車をとめて自転車にのり、家へ帰る。この繰り返しはほとんど無意識に行われるもので、よほどの雨が降っているなどしない限り、苦痛とも快楽ともいえぬ業である。帰り道のペダルをこぐスピードは遅い。ぼんやりと浮かぶ月が見えることもあれば、赤い夕陽の光を受けるときもある。子供を轢きそうになるときもあるし、車に轢かれそうになることもある。なにを考えているかといえば、いかにしてライバルを蹴落とそうかということである。


仕事から戻り、交換日記の鍵のように小さな自転車の鍵をポッケから探りだし、素早く跨ると、カゴに鉛筆がはいっている。売っていた頃のおよそ半分の長さで、赤色のはげたような表面だ。よくみると、いやよく見なくても、その鉛筆の尖っていない方の先は、ばきばきと無造作にわれていた。黒い鉛の芯がみえている。みすぼらしい外見にすこし気おされ、わたしはそれから視線を外してペダルを踏み出した。夜の暗幕を車輪で押しながら帰る。脳裏には暗闇に潜む殺人者の顔が浮かぶ。


翌日も同じように舞い戻り、同僚からもらったカンロ飴をなめながらハンドルを握ると、目の前のカゴに、きのうの鉛筆と、それより大分長い、今度はキャップ付きの緑色の鉛筆が入っていた。まだ使っていない様子のその鉛筆だが、やはりペン先と反対の先がばきばきに割れている。

どうして二日も続けて鉛筆がカゴに入るような偶然があるだろうか。しかも同じように傷だらけの体である。

ペダルをふみながら、わたしは思い出していた。小学一年生の時分、隣の席の男の子のもつ鉛筆のてっぺんがぼろぼろだったこと。ちょうどそれは、このかごに入っている鉛筆らとそっくりで、そのうえわたしは彼が授業の間鉛筆を噛んでいる様子を目撃してしまっていた。これだけ熱心に噛むとはよほど美味しいのかと思い真似したが、早々にやめておいた記憶がある。危険な味がしたのだ。一度体に入れれば、もう二度と出ていかないような要素の香りがした。

これらの鉛筆も、誰かが噛んでいるのかもしれない。そう思って観察すればするほど、歯型のような傷さえもみえるきがして、恐ろしくなった。とりあえず、そのままにしておく。触るのもすこし気が引ける。


翌日、恐ろしくなったという言葉とは裏腹に全く鉛筆のことを忘れてしまっていた。というのも、その日の仕事後の会話で長年思いを寄せていた長身の彼に恋人がいると発覚、それに対するリアクションがなんとも安っぽい見当違いのものになってしまったことを、深く憂うのに忙しくなっていたからだった。

エンジンを止めてふと自転車の方をみるとそこにはキルト素材でできたジャケットを着た短い髪の男がいる。年齢は20代後半くらいだろうか、彼は自転車のカゴに手をおいて俯いている。

鉛筆のひとだ

そう思って凝視していると、彼はコンビニの袋から三本入りのキャップ付き鉛筆をとりだし、さらにその中から一本の鉛筆をそろそろと出していく。

そして、口に咥える。ためらうことなく歯を立て、なんどもなんども噛んでいる。表情まではみえないのだが、焦らず、しかし休むことなく、着実に鉛筆のてっぺんを破壊していく。

破壊。しんまで破壊していく。侵食。

迷いのない、無表情。

ひとしきり噛み、木の汁を舐めとったあとに、もう飽きた、使い物にならないといった様子で、鉛筆を自転車のかごに放り込んだ。さながら、煙草の吸殻のように。

ポッケに手を突っ込み、気だるそうに歩き駐車場から立ち去る彼が、自動車の中で凍る私の目をちらと盗み見たことに、私は気づかなかった。