hoho!

みえないものをさわる

悲しくはないんです


母親とは、幼いころにわかれました。物心ついたときには、父親はもういなかったんです。兄弟がひとりいましたけど、あんまり記憶がありません。
面倒をみてくれた人たちはとてもいいひとでした。わたしのことをすごくかわいがってくれて、外に連れ出してくれたりもしました。遠出するときも、まるで本当の子供のように、連れていってくれました。夜にはいつも、抱きしめてくれるんです。これって、まれなことですよね?
でも、なかなか言葉が通じなくて苦労が耐えませんでした。わたしはがんばって、目をみて、伝えようとするのですが、言葉を本当の意味でわかってくれた人なんて、殆どいなかったんです。みんなきちんと目をみて大抵は聞いてくれるのですが、なかなか、まるでそれはねじれの位置のように、重なることはなく、お互いにいつも、妥協をしあっているのでした。わたしの言葉を本当の意味でわかってくれるひとなんて、多分この世のなかにいないんだと思います。たまに同じかおりのする仲間を見かけても、なんだか違う気がするし、わたしのことを一番みてくれている人たちが、あまりそういうやつらと関わるなと言うので、そうしています。そうするのが最善だとわかっているからです。
親と別れて、もうだいぶたって、いまでは親がわたしを産んでくれたとしにわたしがなりました。いまお母さんがどうしてるのかなんて、わからないし、気にしていません。どの道をたどれば、会いにいけるのかもちょっと、わかりません。車が多くて、目印もすぐに消えちゃったりして。しかたないですね。なにせ、ちいさかったもん。
気持ちが誰かに通じさせるのって、なかなか難しいので、最近は少し諦めてたりします。わたしが、まわりの人たちにしてあげられることなんて、すこしおどけて見せて笑わせたりするくらいで、根本的な解決にはならないと知っています。無力なので、それらのひとが泣いたり、怒ったりしたら、できるだけ邪魔をしないように部屋を移動するんです。そんなときはわたしも泣きたくなります。
いつの日か、心が通う、ひとができるでしょうか?世の中では、それをトモダチとよぶのでしょう?トモダチトモダチ。良いひびき。トモダチができたら、一緒に散歩したり、ご飯を食べたりしてみたいです。トモダチとするなら、ありふれた生活も楽しくなるって、わかるんです。わたしの思ってることは、トモダチも思ってる。そんな、すてきな奇跡は、きっとわたしの近くでも起こっているみたいだから、体力が衰えるまでに経験したいなって、夜には夢をみます。


飼い犬の、いうこと。

毎日かわらない、飼い犬の生活。