hoho!

みえないものをさわる

告白

告白

私が今までにした一番大きな反抗につきまして。


ええ、人口1800人の小さな村に、小学6年生の夏に引っ越すと聞いても、さほど動じませんでした。特にいつもの引っ越しと変わることはなかったからです。田舎から都会にひっこすよりも、都会から田舎に引っ越す方が、なんとなく有利なポイントは多い気がしていたのです。実際引っ越してみても田舎だからといってそこまで不便するようなことはなかった気がします。小学生ですし。

中学校は新築だったんですよ。木のにおいがする、いい学校でした。理科室が、地下にあるんです。地下といって想像するような、真っ暗な地下じゃなく、きちんと光が入ってくるように設計されていました。そこにいる理科の先生は若い男性でした。小太りで、黒縁メガネをかけた、神経質なひとで、チョークをもつ手の小指が、いつも立っているのです。真面目に真面目に、時に冗談を心がけて言うような、面白味のない人でした。

ある日私のトモダチが私に、彼に言われた一言でひどく傷ついたとこぼしました。たしか成績のことで叱られたか何かだったように記憶していますが、定かではありません、特に感情が揺さぶられたわけではありませんでした。いつものように彼女の愚痴を聞いているだけだったのですが、私のこころのなかで、ニヒルな笑みを浮かべた自分がくっきりと浮かび上がり像を結びました。面白味のない先生ほど、当時の私の中で存在価値のないものはありませんでした。そう、最初からそう思っていたのだと、気づく感覚がありました。

かれをうちのめそう

私はそう考えました。次の理科の時間まであと3時限。時間は十分のようで、ただちに行動する必要があるように思えました。それで白い紙に、こう書きました。
「Aさんは、あなたの一言によって大変傷つきました。もし反省しているのなら、原稿用紙に300字の反省文を書いて、明日までにもってきてください。」
馬鹿馬鹿しい幼稚な、生意気な文章ですが、彼を痛めつけるには適当な気がしました。しかしそれでは飽き足らない私は、何かに突き動かされるように、次の行動へと走ったのです。
その次の行動とは、何の関係もないクラスの人たちの署名を集めるということでした。まわりにいた人たちに休み時間中声をかけ、名前を書いてもらったのでした。特に内容は詳しくは言いませんでした。それなのに、どんどんと署名は集まりました、きっと私は罪悪感を薄めようとしたのでしょう。

何を動機としてそれをやったのか、思い出せば思い出すほどわからなくなります。
いつでも優等生らしく従順にしてきたことが、何か馬鹿馬鹿しく思えていたのでしょうか。単純に、仲間意識だったのでしょうか。それとも、本当に彼を打ちのめそうと思っていたのでしょうか。トモダチの一言で、一気にそこまで突き動かされたのでしょうか。ダムが決壊するように?

理科の授業の始まる前に私は爆弾を携え、教科書を教卓で読む彼のところにいって、微笑みました。
「センセイ!」


当惑した彼の表情は、見ていません。すぐに、身をひるがえし微笑みを崩すことなく自分の席に戻ったからです。もちろん彼が浮かべたかもしれない、打ちのめされた表情も怒りに燃える表情も、悲嘆にくれる表情も。私は見ませんでした。

その数時間後に、暖かな図書館で、13年の人生で最も深い屈辱を味わったのを覚えています。学年担当の教諭達に諭され、後悔、反省、それらはほんの僅か、屈辱のみを味わいました。自己憐憫の涙を、流しました。次の日には、理科のセンセイに謝りにゆき、私は通知表の数字を守りました。彼に対しては何の感情も残りませんでした。
また、その翌年明けの元旦に、彼からの年賀状が律儀にも届いていたことも記憶しています。


私の人生最大の反抗は、源のはっきりしないものでありました。
大した成果をあげることもなく。ただただ、小さな痛みを生じえただけでした。


しかしそれは、自分自身の中にある悪を裏付けるに足るものです。
時々思い出しては、その小さな村を深く罪深い匂いと共に懐かしみます。